弁護士 齋藤 博志(東京エクセル法律事務所) > 信託と後見
最近、公正証書で信託を組成する案件が顕著に増えてきている。
信託の理解が進んだことや金融機関の一部においても信託口座開設につき前向きな対応がなされるようになって信託の利点を現実に享受できるようになったことによると思われる。
そこで、信託をお考えになっている方の参考になることがあればと整理してみた。
後見との関係で信託の落とし穴ともいうべきことに主眼を置く。
信託とはなにかということになるが、委託者がその財産から不動産や金融資産を切り出して、これを受託者に所有権等の器の中に入れて管理権を与え(受託者は「所有者」のように振る舞う)、受益者に便益(金銭の受給、不動産の利用、自分の債務の履行等)を供与するもので、信託に供した財産は、一旦、委託者の財産から離れて言わば誰にも属さない信託財産となった後に、信託終了とともに、通常の民事法的財産、つまり誰かの財産に戻される。
委託信任の法律関係の一つとしての信託のメリット、デメリットは、この「所有者のように振る舞う」受託者の強力な管理権に由来する。
通常、信託は相当の長期間、信託法の元に存続し続けるが、その信託の基本を造るものが、委託者と受託者の間で締結される信託契約(これによって所有者のように振る舞う受託者を規制することになる。)である。
信託は、目的の下に、信託財産、受益者、受益権の内容、受託者、受託者の管理権の内容等が定められ、信託財産となる財産が当初受託者に移転され、一つの経済主体としての個性をもって運営が開始される。
この信託の組成行為(組成は契約だけでなく宣言による自己信託、遺言による場合もある)である信託契約は、書面によってすることも求められてはいない。
つまり公正証書でする必要はないのであるが、契約当事者の契約の意思や内容確認、契約の証明方法(公正証書の正本、謄本による。)、原本が保存されることなどから公正証書でされることが多い。
信託口座を開設する金融機関が公正証書での契約を求めることもある。
ところで、公正証書として作成する場合、公証人は、依頼人が持ち込んだ案文を鵜呑みにしてワープロ打ちして体裁を整えているだけではない。
審査をしている。
審査の時、公証人は何を見ているかと言えば、それは通常の公正証書と同じく、当事者の意思、内容が違法、無効、取消事由となるようなものがないかということである。
そして、違法、無効、取消事由の審査は信託契約書記載上のものだけに止まるわけではない。
公正証書により世に送り出す信託契約の長い将来も含めた実体も公証人の分かる範囲で審査していることになっている。
誰の財産でもない信託財産は無色透明にできあがるわけではなく、目的の下に統制された一種の人格類似の経済主体として造られる。
従って、例えば、受益者の老後の医療費や施設費を賄うことを目的とし、これに見合うような少額の金銭を信託財産としていながら、信託設定後多額の資金あるいは不動産を追加信託し、当初の信託契約が予定しないようなアパート経営などの運営をしようとしている場合は、見せかけた信託であって公正証書の作成は拒否せざるを得ないだろうと思われる。
そうでないと、公証人は、どのような信託契約を審査し公証したか分からないことになり、結局、公証したことにならないからである。
信託契約段階ではこの意図が分からなかった、或いは当事者にそのつもりがなかったとしても、その信託契約で組成した信託では、アパート経営のための追加信託や信託を利用してのアパート経営などの運営はできないということになる(金銭が当初の信託財産であったのにこれに不動産を追加信託することは信託の同一性を破るものとしてなしえない、つまり不動産で信託を構成するには別の信託を組成せざるを得ないとするのが大方の理解のようである。)。
もちろん、信託は変更もできるが、元の信託の基本的同一性を保持した上でのことならともかく、これを超えるようなものは、変更ではなく、別の信託、新規の信託の設定であり、信託の変更ではなしえない。
なお、これは決して、財産がなければ信託契約ができないということを意味するのではない。
あくまで組成する信託の同一性の問題である。
注意を要するのは、金融機関は、信託口座開設で、この信託の見せかけに、ことのほか神経をとがらせる筈だということである。
一昨年にファトフの対日審査で、マネーロンダリング等に対する日本の金融機関の対策、脆弱性調査が行われた。
国内の金融機関はその時期、緊張した時間を過ごしたと思われる。
対日審査の結果の発表は遅れている(令和2年8月公表)が、それによっては金融機関は顧客管理体制などに大きな変革を迫られることもある。
そのマネーロンダリングで警戒を要するとされているものの一つが信託口座である。
目的を偽る口座が開設され、または申告した口座開設の目的と異なる利用がその口座の主体である信託によりなされれば、金融機関としては場合によっては、口座の解除にまで動くであろうし、そのような信託口座、あるいは怪しい信託口座開設が増えれば、金融機関は再び、そもそもの信託口座開設を厳しく引き締めることになりかねない。
こうなるとせっかくの信託開花が花になる以前にしぼむことになる。
公正証書による信託組成でよく目にするのは、委託者を父Aとし、受託者を子B、受益者を同じくA(Aの後の第二次受益者を母とすることも多い)とし、Aの不動産と一定額の金銭を信託財産とするものである。
ところで、このような信託で依頼者が何を求めようとするのかというと、後見では実現できないことを信託で実現したいということがその目的の一つである。
特に財産の中に収益財産がある場合、後見では、したい思っている管理方法を実現できないと明確に意識されている。
より具体的に想定すると、将来において、親Aが認知症になっていたら、適宜、アパートの増改築、リフォームをし、あるいは建て替えて、借り主の需要、要望に応え、空室がでないようにするというアパート経営で実現したい管理ができない(あるいは、即応することができない)という問題意識である。
後見と信託を比較してみる。
後見は、一言で言うと、判断能力の衰えで自分のすべきことができない人に対して、保護者的立場に立って包括的代理権を行使する者を付し、必要な事項の代理権行使をさせるということになる。
日本では、本人の意思により契約で依頼した者を後見人に付す任意後見と、裁判所が職権で付す法定後見とに分れる(裁判所が職権で付すのには保佐と補助もあるが、以下は全般的代理である法定後見の場合のみに絞る)。
法定後見は、被後見人の意思に関わりなく(もうその意思は確認できない。)、裁判所の職権で選任される。
保護のためであるから代理権の範囲は全てを網羅し、被後見人の全ての利益を保護、擁護しなければならない。
その一方で、損失の多少とも危険性のある積極的な財産管理方法(本人の同意、危険の承諾がなされていない。)は許されず、原則は、消極的保守的な保全のみということになる。
しかも、裁判所の全面的な監督の下である。
従って法定後見人は、現状変更を考えなければならないような個別具体的な問題が生じたときに、本人の財産状況を横にらみしながら、いつ、どうい う方法でどの程度までのことをするか、それが法定後見で法的に認められるか、また妥当性も含めた対処を案出し、裁判所にこと細かく相談をし、指示を仰がないと踏み出せない(この職務の困難さは保守的な財産管理にも及ぶ、そのため法定後見人に選任されるのは専門織に大きく偏ることになる)。
そうなると、財産の保全が原則の法定後見が前記2の意味のアパート経営に対応するのは、相当に難しい。プラスして迅速かつ需要に応じてなどは極めて困難と思われる。
では、任意後見はどうか。
確かに、任意後見は当事者の契約であり、範囲、程度を決めて、またその当事者同士の信頼関係に基づく裁量を与えて、代理を委任するものであるから、法定後見とは違い、委任事項として記載されその裁量も与えられて委任(つまりは委任者も積極的な権限行使に同意し危険を承諾)している実質があれば、相当のことは後見人が自から権限行使をして迅速にできるようにも思われる。
しかし、任意後見も、後見であり、被後見人の財産を守るという基本的立場、制約からは免れない(任意後見契約に関する法律)。
そうすると、財産損失の危険度に応じて、増改築、建て替え等についての準則が明確化(被後見人の明確な同意、危険の承諾)が成功していない限り、積極的な経営には無理がある、明確でない部分は保全的な権限行使に限定される。
この危険度に応じた任意後見人の行動の準則の抽出、規定方法は難しい(工事累積額を被後見人の総財産の○%までとするを基本に据えて、などの規定方法もあり得るかも知れない)。
任意後見であっても適宜、客の需要に応じてというアパート経営への対応は、相当に意識し工夫しないと難しいと思われる。
また任意後見監督人が、任意後見人の積極的な権限行使を、抑制する場合もある。
以上の、後見では対処が難しい,親が認知症になった際の収益不動産の積極的管理については、信託は効果的である。
総括すると、信託は、委託者から私権としては最も強い、従って自由度の最も高い所有権(物以外の権利もある、その場合は全面的権利)の器に入れた財産の管理権を与えられ、その信任による裁量権が委任等と比べ原則と例外がいわば逆転している(信託法26条信託行為で制限しない限り信託目的達成のために必要なことはなんでもできる)ため、収益不動産の管理規定の構成もしやすい。
言い換えに過ぎないかもしれないが、積極的な財産管理による危険の同意、承諾が委託者によってなされている基本構造だからということになる。
しかし、親の老後の認知症による問題に他人を関与させたくないために信託を利用しようということだと、信託は的外れの場合がある。
信託は親が認知症となった際の問題全てをカバーはしてはいない。
財産管理の問題をとっても、親Aの主要な財産を切り出して信託に付し、子Bの管理に置いても、Bの管理に置いた財産以外はBの管理下にはない。
そうすると、Aが認知症になった場合、やはり親の財産を親のために使用することができない。
信託財産から親の口座にお金を振り込むことはできるが、振り込まれればそれは親のお金であり、Bはそれを親のためでも使用することができないのである。
お金の問題はBが自分のお金を使用して支払うということもできるし、個別に銀行と交渉して親の預金の払い戻しを認めてもらう(今年2月、銀行協会から、医療や施設の支払いについて必要で金額も明示して証明してくれれば、銀行が認知症の人の預金の払戻を認めることも応急的にはあり得る旨の広報がなされている。)という対応もありうるかも知れない。
しかし、お金を払う以前に、必要な医療契約や施設との契約をしなければ必要なサービスを受けることができない(これが現実にはできているではないかと言われそうである。
後見が行き渡っていないためにやむなく、支払い保証をする子や兄弟による事実上の代理を病院や施設が認めることがあるというに過ぎないと思われる。)。
医療契約、施設入所契約については、第三者のためにする契約として、親Aのために医療契約等を受託者たるBがするという規定を信託に設けることで対処すること(受益の意思表示も信託契約書上でしておく、あるいは受益者代理人にさせる)も考え得るかもしれない。
実際、支払いの問題については、医療契約や施設との入所契約があることを前提に受益者のために病院や施設に対し直接支払いをする規定を信託に設けたりもする。
しかし、信託に一般的に第三者契約として医療契約、施設入所契約等をする権限を与えることは、後見を潜脱するという問題を起こさせそうであるし、医療保険、介護保険の保険適用上の問題もありそうで、直ちには解決策として提示はできないように思われる。
そして、やむを得ない後見の申立(医療契約や施設入所契約のため,或いは親の兄弟の死亡による遺産分割協議のため申し立てざるを得ない。
また、4親等内の親族は法定後見の申立ができる。)となり、法定後見がAについて開始した場合どうなるかである。
法定後見人は、委託者としてのA、受益者としてのAを全面的に代理することになる。
委託者と受益者を兼務すると、一存で受託者を解任し、信託を終了させることすら論理的には可能となる(信託法58条1項、164条1項など)。
もっとも後見人の権限行使は、信託については保全的なものに限られ、監督権以外の権限行使は制限されるとする見解もある(遠藤英嗣「家族信託契約」143ページ、相続財産に関わる遺言的なものとして後見人の権限が及ばないとする)。
それでも、少なくとも、法定後見人は、委託者、受益者の代理人として、受託者に対して種々の監督権行使ができる。
安易に行使されると現実的にはこれも大きな問題となる。
先に述べたように、法定後見人は被後見人であるAのあらゆる面における利益を保護しなければならないし、常に被後見人の利益を保全的に擁護する立場からすると、裁量や権限の大きい信託受託者の権限行使を危惧視することにもなる。
必然的に、法定後見人は、受託者に対し委託者、受益者の代理人として監督権を行使し、或いは受託者の権限行使に対しては財産保全の立場から異議を唱えてくることになる。
監督権限行使は信託を変容させるようなものではないし、現状変更という危険度の高い受託者の権限行使の内容を調査するため、また牽制して慎重を期させるためということになるから、法定後見人はこの監督権の行使(報告、帳簿閲覧を求め、受託者の行為の差止を請求し、検査のために検査薬の選任を裁判所に請求する等)には躊躇しないだろう。
また、法定後見人自身は信託に理解を示したくても、裁判所に報告しその指示を仰がなければならない。
少なくとも報告の調査のための監督権の行使は法定後見人の義務となる。
かくして、信託運営は法定後見人の監督権の行使で大きく掣肘を受け、信託事務は渋滞する。
そうなると、法定後見のデメリットが信託でも再現され、先に見たような信託のメリットは無効となる。
信託は財産権を移転する形を取って大きな裁量を与えて迅速簡明な管理権行使をできる限りし易くする方向なのに対し、法定後見は本人の了解は全く無いことから保全のみに留め損失の危険を多少であっても避けようとする方向である。
つまり、両制度は向いている方向、理念が全く逆であり,両方が並び立つ事態は、ミスマッチと言わざるを得ない。
法定後見を必要とする事態は起こらない,起こっても個別にスルーできる、多少のことは我慢する(我慢させる?)から法定後見の申立はしないで対処するというかも知れない。
しかし、親が相続人となる法定相続の遺産分割協議では法定後見人が必須となるし、法定後見の申立を他からされてしまう場合がある。
信託に反感を持つ親族がいると、親が認知症となった時、その親族から法定後見の申立をされる。
このような、法定後見が開始して生じるミスマッチを避けるためには、法定後見と親和性の高い任意後見を用意しておくことが望ましい。
任意後見契約をしておけば、信託では埋められない看護関係等の部分をカバーできる。
また他から法定後見の申立がなされても任意後見の契約が締結されていれば、任意後見が優先するから法定後見の申立は却下され、信託とのミスマッチを回避できる。
もし任意後見監督人の介入にも危惧を覚えるのであれば、任意後見契約で任意後見人の代理権から信託関係を除外する契約とすればよい。
ところで、そもそも後見人がいなくても、受益者代理人がいる場合、受益者が認知症となったとしてもそれは信託の仕組みの中で解決されることが予定されていて、自律的仕組みとして完結していると言えなくもない。
従って後見の介入は拒否されるのではないか、信託に関する限り、もともと後見の介入は予定されていないのではないかという論も成り立ちうるように見える。
しかし、裁判所の関与等が全くなく選任され(事実上選任がなされないこともある)、おそらくは素人である受益者代理人による信託の監督では、受益者の保護として充分ではないと思われる。
仕組みとしては受益者代理人を含む信託の構成が自律的なものとして完結されているのかも知れないが、事実上の脆弱性を考えると受益者代理人が選任されることになっているだけでは、法定後見を排除するのは危険だと思われる。
ただし、委託者は自律的に完結する仕組みとして、その危険を承知の上で受益者代理人もいる信託を選んでいるのであるから、法定後見人は委託者の選択を尊重し、監督権権行使についても抑制的であるべきで、補充的行使に留めるべきと思われる。
脈絡がないが、ご注意頂きたい重要なことを指摘する。
受益者代理人の定め(選任方法を規定することで足りる)は、信託には必須であるということである。
受益者代理人は、最初の信託の組成契約で選任方法を定めないと、信託の変更でもその規定を置くことができなくなり、裁判所が新たに選任することもできないのである。
(前掲遠藤「家族信託契約」39、68、87ページなど)。
この受益者代理人がなぜ必須かというと、受益者代理人がいれば、受益者が意思表示できない場合でも、受益者代理人が受益者に代わって信託の変更などの重要な意思表示をして、信託の修正をし、運営を継続していくことができるということである。
信託はその存続が長期に及び、信託財産の変化、信託関係者の死亡等による交代、信託法の改正、信託税制の変化に晒される。
これには、信託の変更で対処しなければならないのに、受益者代理人が選任できないと、親Aが認知症になれば対応できなくなる。
また、親族間での信託において受益者の地位が脆弱で、ただでさえ強力な立場に立つ受託者に対し、受益者の立場、利益を守る者が仕組みとして必要だということである。
法定後見、任意後見、信託は、どれが優れている、どれがオールマイティという関係ではなく、それぞれの家族間の事情に応じてメリットもあればデメリットもあり、カバーできるものもあればカバーできないこともある。
重なり合いの関係で、そこを見極めて組み合わせもすることとなる。
後見との組み合わせや信託の組成の仕方によっては、信託が将来的に機能不全となることもあるだろう。
そのようなことを看過した公正証書は、場合によっては実質的に無効、取消事由の瑕疵あるものとして効力を否定されかねない場合もある。